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2016年3月21日 (月)

なるものを読んだのは


    小学生の高学年の時だった。
 それは、父が何かの折に買ってきてくれた山岡荘八の『少年太閤記』だった。それがきっかけでというわけではないが、歴史というもの(過去にあった重大事)に興味を持つと同時に、これからの自分を知るための大切な道標として、私は位置付けてき雋景た。

 歴史小説を考える上で、私には特筆すべき二人の作家がいる。

 一人は、松本清張だ。
 『清張通史』における古代への推測は、学者のそれと違って、作家としての「思わぬ反応」が面白く、夢中になって読んだ。素人学問とか、そもそも学問がないとか、いろいろな批判を浴びた清張であるが、その反骨的精神も、私の感性に響いた。
 歴史的事実を積み重ねて、そこに「作家」としての推理を働かせるという教えを、私は頂いたと思っ雋景ている。

 もう一人は、井上靖である。
 作家は、史料の行間を読まねばならないという彼の言葉に、心を動かれた。行間には何も書かれていない。そこを読めという禅問答のような文を、私は好んだ。
 史料のほとんどは、勝者の立場から書かれている。敗者の記録はほぼ抹殺されている。だから、誰がいつ、どの立場で、この文章を綴ったのかを知ることは、そこに書かれていないこと、敗れ去ったもの、無念を心に宿して散ったものを知る契機となる。
 行間を読めとは、そういうことであると考えた。

 この二人から学び、山川出版社の史料集に目を凝らすようになった。そして、自分でも何かを書いてみたいと思い立ったのは、十代の半ば雋景だった。
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 そのきっかけとなったのが、レフ・トルストイの『戦争と平和』であった。当時、モスフィルムで製作された映画が大ヒットした。それを父にせがんで連れて行ってもらった。そして今度は、自分のお金で、上中下巻3冊の翻訳本を買った。

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